2013年3月29日金曜日

初日終了。

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

くたびれた。笑うね。
初日は無事終了といってもいいのかな。よくわかんないや。
いろいろミステークがあって。
今回は稽古量が足りなかったなあと。いまさら言っても仕方ないけど。

11時に劇場に入って。場当たりっていうやつの続きが延々とあって。
かなり夕方に押し迫ったところで、本番とおんなじようにやる(ゲネプロっていうの?)のを一回やって。
それが終わって50分後に開場。一回目の上演がすぐに始まる。
なんかものすごく慌ただしい。こんなんでいいのかな。いや、もちろんダメなんだけどさ。
なんだかなあ、ほんとに。

初日打ち上げってのがあるんだね。初日が終わって、居酒屋なんかもセッティングされていて。ぼくはもうへとへとで、飲む気にもなれず、申し訳ないけど不参加にさせていただきました。
膝が痛くてさ。靴を脱ぐときに片方の足でかかとをきゅっとやるでしょう?そんなんでも、膝に痛みがぴくんと走る。
いやあ、なんか。満身創痍だわ。精神的にも。

他のひとは元気だなあ。なんか本番になった途端、テンション上がってる人もいて。
稽古のときからそうやれよって思った。ずるいよなあ。いや、ずるいってわけでもないんだろうけどね。

逆にぼくは本番になった途端、ひゅーっていう感じ。なんか、こう。うまく言えないけど、いろいろとあって。
でも明日は知り合いもたくさん来てもらえる予定だしさ。頑張らないけど、頑張る。頑張るけど、頑張らない。そんな感じでね、やる予定。

2013年3月28日木曜日

本日、初日。『お父さんの背中』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

昨日は、業界用語で小屋入りっていうんですか、劇場にいって美術の搬入とか、舞台設定、そのあと照明や音響のタイミングなんかの細かいところをチェックしたりしたよ。(場当たりっていうの?)

朝から、夜遅くまで働いてくたくたでした。『働いて』というのは間違い? 『遊んで』といったほうが正しいのかもしれないけど。



なんというか、こう、あたふたした感じのまま、スケジュールが進行していくよう。
「今日は、初日。これから始まるんだなあ」という、感慨が全然ない。
やり残したことが一杯あって、時間の神様に「ちょっと待った!」と言いたいぐらい。

なんにしてもこの半年ぐらい、ぼくは遊びすぎたみたいだ。
本業のほうが大分おろそかになった。
この公演が終わったら、またしばらくはCGアニメーションだけに専念したいかな。

もともと芝居や朗読は、ダイエットが目的で始めたんだ。
この一年くらいでかなり軽くなって、昔のズボンも履けるようになった。
ある程度は目標を達成できたともいえるしね。
芝居はちょっとお休みしたほうがいいかもしれない。

うそ。芝居って面白いよね。なんでこんなに面白いんだろう。どうしてもっと以前から始められなかったんだろう。お休みする気なんて、ほんとはない。

もっと続けたい。でも、やりたいことは、その他にもたくさんあるんだ、実は。
そっちもやらないとね。
欲張り(他人よりとはいわないけど)なんだな。

でも芝居のなかの演技は欲張っちゃいけないんだ。そのバランスが難しい。

というわけで、ひょっとしたらひょっとして、ぼくの最後の芝居になっちゃうかもしれないぜ。
ぜひ一度観ておいてくれよな。

劇団かさぶた未在公演『お父さんの背中』

未在公演の『未在』。まだだめだって意味だってさ。やればやるほどわからなくなる。わかってないないことがわかる。だからやる、だってさ。

芝居とおんなじだね。




2013年3月23日土曜日

小市民劇場×早稲田大学演劇倶楽部『俺を笑うな』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

今日は芝居の稽古は休んだくせに、芝居見物には行ったよ。
早稲田大学の文学部のキャンパスにある学生会館。その地下二階。

なんだろう、小市民劇場って。そういう劇団名なのかな。細かいところはよくわかんないけど、とにかく観に行ったよ。
大学生の演劇っていいよね。安いし、面白いものは面白い。つまんないものはつまんないけどね。ヒット率は、世の小劇場演劇よりずっと高いと思う。早稲田、明治、立教あたりはね。それ以外のとこには、そんなに行ったことがないんだ、ごめんなさい。

『俺を笑うな』、タイトルはいまいちだけど、面白かったな。70分ぐらい? 最後まで退屈せずに観ることができた。

舞台が3つに分かれている。
左が、主人公の実家。
真ん中が、主人公が借りた自分の部屋。
幹が、友達のスズキくんの部屋。
場面転換が完全暗転なしで行われるので、観ていて気持ちがいい。

父親の暴力や厳しい指導に耐えかねた主人公、サイトウタクミは家を出て、自分で部屋を借りて住むようになる。そこに友達ふたりを迎える。一人は付き合っているイチカワミサキ。もうひとりは中学からの友達、スズキトシユキ。最初は三人で楽しく過ごす。しかしそのうち、スズキに彼女ができる。スズキは彼女と過ごし時間が増えていく。怒った主人公が、暴力的な行為でスズキを彼女からと戻そうとする。そのため孤立。母親の説得で家に戻るが、やはり父親とは合わず、最後には自殺。みたいな。

こんなふうにストーリーがちゃんとあって、そのストーリーに沿って、しっかりと場面を観せていく芝居ってのは、すごく新鮮だった。
いや、芝居には大抵ストーリーがあって、それに沿って物語が進行していくわけだけれども。それにしても、新鮮さを感じたな。どういうわけなんだろう。必要最低限なシーンをつないで、しっかりとした物語として構成しているというか。無駄なものが感じられなかった。だから退屈もせず。

いいもの観せてもらったな。

2013年3月22日金曜日

今日はお休み

やあ、みんな、まあちゃんだよ。

劇団かさぶた未在公演『お父さんの背中』。ついに来週、本番を迎える。

がものすごい勢いで咲いていて、公演終了時には散ってそうだ。
今年は花見は無しなのかなあ。

稽古のスケジュールも凄まじいことになっていて、昨日は13:00~21:30まで稽古。
稽古日程を最初にみたとき、「こんなに長く?」と思ったものだが、やっぱり長かった。わし、へとへとでした。そんなに若くないんだということを実感。

そして今日も稽古だったのですが。
とにかくが痛くて。体じゅう筋肉痛で。普段、なんて凝らないのに、今朝起きてみると、肩が妙に痛い。
しかも声が出ない。またを枯らしてしまった。

というわけで、大変申し訳ないのですが、今日の稽古はお休みさせていただきました。今日は午後だけなので、そろそろ稽古も終わる頃。皆さんには迷惑を掛けてしまったなあ。実は明日も稽古に行く自信なし。どうしたもんかなあ。困った。稽古は明日を含めて4回。大丈夫か? おれ。

喉がなあ。どうしても夢中になると枯らしてしまうんだよなあ。どうしたもんかなあ。困った。

それでも頑張るからさ。
みんな、お願いだから、時間作って観に来てくれよな。

劇団かさぶた未在公演『お父さんの背中』

2013年3月18日月曜日

風鈴堂『幕末純情伝』

シアター・バビロンの流れのほとりにて

いやあ、いつ観てもすごいなあと思って。この劇場の名前。
劇場の名前っぽくなくて、詩的で。どんなとこなのかなあと思って行ってまいりました。
王子からさらに地下鉄南北線に乗って、ひと駅。王子神谷から歩きました。
そうかあ、こんなところに劇場があるのだなあ。

幕末純情伝はつかこうへいの脚本なのですか。そうですか。つかこうへいの台本は、もうテンションしかないんだよなあ。くだらない内容なんだけど、テンションをいかに高くもって演じるか、という以外にないような気がする。

美術なんかにも凝って欲しいなあ。基本的に殺陣をやりたい人たちなのかな。

アシメとロージー『歴史の天使と住宅事情』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

連日の稽古でくたくた。今日も午後一から夕方まで稽古。体をいっぱい動かして、狭い舞台を走り回って、大声出して。喉はガラガラで。

その影響だと思うんだ。夜の芝居見物はとっても眠たかった。眠いのを堪えるのが大変で。
辛かった。もう稽古のときには芝居見物には行かない

中野MOMOは、月末にぼくらが立つ劇場。席について「ここでやるのかあ」と気持ちも新た。
でもちょっと変わった使い方をしていた。
舞台は真ん中で、観客はそれを三方から囲んで観る感じ。

アシメとロージーを楽しめるか否かで、その人の演劇センスがわかる」とおっしゃってる方がいまして。
「そうかあ、楽しめるといいなあ」
でもそんなに楽しめなかった。やっぱり体調のせいだと思うんだ。

悔しいんで、帰るとき過去のDVDを二枚買った。前回公演と前々回公演のやつを。それを観て楽しもう。

お話しはね。団地建設のために木が切られるところを守ろうとした男に、木の精が女性の姿になってやってきて。でも木は結局切られてしまって、女性はどこかに消えてしまった。
それを定年退職したばかりの男が探して歩く物語。
わかりやすい物語だったと思ったけど、帰り際に、他の観客が、一緒に来ていた観客に「なんだかよくわからなかった」と言っていたのが悲しかった。
こんだけわかりやすくても、わからんってのか。

次回の劇団かさぶたの公演も、こういう人が来ると、「わからん」の一言で片付けられてしまうんだろうなあ。悲しい。

アシメとロージーの次回公演は、一年後、来年の春ということだ。次回は体調万全で観に行きますから。またよろしく。

2013年3月16日土曜日

たまには燻製ビールなんかを

五反田の燻製ばっかり置いてる店に行ったよ。


これは燻した麦芽を使ったビールなんだってさ。
初めて飲んだよ。でも普通のビールとの違いは、そんなには感じなかったな。

のりさんと中野さんと。
中野さんと飲むのは久しぶりでありました。

2013年3月15日金曜日

アムリタ『n+1、線分AB上を移動する点pとその夢について』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

早稲田にいくときは、高田馬場から歩いていく。
明治通りを過ぎたあたりから、古本屋がぽつぽつ並んでいる。その店先に並んでいる古本を物色するのが好き。文学全集のチェーホフシェークスピアは大抵早稲田の古本屋で、一冊百円で買った。百円で分厚い本が買えるんだから、ものすごくお得だよね。
古くて、ちょっぴり読みづらいのが難点だけど。

早稲田大学の文学部の敷地にある学生会館。その地下2階。アムリタは初見です。出演者を見ると、他の演劇サークル所属の人がたくさん。寄せ集めなのですね。

コリッチでは0円になってたので、タダなんだと思って行ったら、1200円取られた。
どういうことなんだろう。抗議すべきだったのかな。そういう習慣なのかな。よくわかんないけど。

物語は、観たことのない感じで進行した。
みんながパジャマを着て寝ている。そのうち起きてきて、自分自身(俳優本人)について語っていく。住んでいる場所や、何時に起きるかとか。
それから今日は舞台の本番だから、起きてから大学に行って、みんなと集まって、準備運動したり、気合入れしたり。本番が始まって、終わって、「ありがとうございました」ってみんなで並んで言って。
時間は一年ごとに進んでいって、なんとなく現実的な路線で、それぞれが個人の未来予想図を述べていく。就職して、仕事をして、結婚して、いろいろとすったもんだがあって、老年になって死んでいく。あるいは病気になって死んでいく。
自分のことなんだけど、「彼」「彼女」と呼ぶ。
死んで終わり。

「でも、もう一度やりたい」
みんながまた一生を生まれたときから始める。
今度は、自分のことを、「ぼく」「わたし」と呼んで。
今度の人生は、みんな破天荒。あり得ない、夢のような話がいろいろと出てくる。
そして、最後の俳優は、106歳で亡くなる。

そのあとは、もう一度繰り返されるんだっけかな。最後のほうは、覚えていない。
ごめんなさい。

みんなが最初に一度死んだあとに、演劇的なクライマックスはやってくる。
「もう一度やりたい」
「でも死んだんだから出来ないよ」
みたいな台詞が続いて、みんなが徐々に「やる」方向に傾いていく。
叫び声みたいなのがあがるのも、このときだったかな。

クライマックス後に、もう一度生き始めるときは、もっとテンポよく、元気にやって欲しかったな。
一度目のときは、淡々として進行した。クライマックス後も、話の内容はファンタジーだったけど、話し方などが同じなので、退屈しないでもなかった。
だから、終わりのほうもよく覚えてないのかも。

演技をせず、舞台上で地の自分を出す、みたいなのもテーマだったのかも。
それはそれで面白いけど、弱さもあるな。
魅力的かといえば、どうなんだろう。

2013年3月12日火曜日

DA・M2013冬公演『夜がやってきてブリキの切り屑に映るお前の影をうばうだろう』

やあ、みんな。元気かな。まあちゃんだよ。

昨日は夜、表題の芝居を観たよ。
一年前に同じ劇団の『Random Glimpses/でたらめなわけ2』というのを観てね。ぼくはそれに触発されて、朗読やら芝居やらをおっぱじめてしまったってわけなんだ。
だから、なんというか、特別の思い入れっていうとちょっと違う気がするんだけど、他の劇団に対してはないシンパシーを感じるんだな。相手のほうはなんにも感じてないだろうけど。

芝居というよりもパフォーマンスだと思うけどね。即興というわけでもない。

中島彰宏さんが面白かったよ。
ズボン降ろしてぼんやりした表情で林檎を手で割るシーンとか、椅子に座ってにやにや笑うシーンとか。

みんなも一度くらいは観てみるといいよ。何やってんだろう、この人たちってきっと思うから。

「なんだろう、これ。やばいとこに来ちゃったなあ」
一年前に観た時、そう思ったよ。
でも観客に危害を加えることはないとわかって。それからは安心して観られるようになった。




終演後はいつものように軽く飲み。知ってる人はあまりいない。僕はやっぱりエトランゼ。でもこの雰囲気が好きなんだよな。

何度か観に来ていて、打ち上げを重ねるうちに、どんどん図々しくなってきたようだ。
ビールとか勝手に注いで飲んで、海苔巻きなんかも平気でパクパク食べてさ。
そのうち演出の大橋宏さんや演者の中島彰宏さんともお話しする機会もできて。
そのうちDA.Mのワークショップにも参加してみたい。


残念だったのは、八重樫聖さんに会えなったこと。
この舞台にも出演予定だったんだけど、2月20日に亡くなったということ。会場に来てから知りました。
ロビーにはこんな写真も飾られていた。



だからこの公演は、八重樫聖さんの追悼の意味もあったのでした。

前回お会いしたときには、「回復してきたから、そろそろ出ようかなあって思ってる」って嬉しそうに話していたのですが。

終演後は、椅子に彼女のドレスが飾られてました。寂しい感じがとってもするのでございまする、の巻でした。



ええとね、ええとね。それから、それから。
ぼくの芝居もあるんで、そっちのほうもよろしくね。
ご予約はお早めに。


劇団かさぶた未在公演『お父さんの背中』




荒川チョモランマ『   』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

今日は芝居見物のハシゴしたよ。ひとつめがこれだ。
しかし、タイトルがわからない。隠してるんだよね。なんでだろう。どういう意味があるんだろう。芝居のタイトル隠すって。不思議。

場所が、巣鴨教会ってとこで。これも変わってるよね。今日一日限りの芝居。3/11に合わせたらしい。テレビをつけるとさ、そういう震災の特集番組が並んでいて、なんというか、その、、、あれだよね。気持ちはわかるけどさ。そこまで3/11に合わせなくちゃならないのって思ってしまう。

たとえば母の日とかあってさ、その日はみんなお母さんにやさしくしようとか、カーネーションをプレゼントしようとか言っちゃってさ。おれ、ああいうの大嫌い。母の日だからやさしくすんの? いつもやさしくしろっての。
世の中そういうの多いよね。「なんとかの日だから」っていう理由がないと、なんにもしないってのかよ。

ごめん、なぜか、興奮しちまったけど。荒川チョモランマの芝居も、3/11に合わせた芝居だった。いや、それについては、特に不満なんかありません。

1日3公演。ぼくは真ん中の、17時の回を観劇。
芝居見物のときはいつも早めに着くようにするんだけど、今日はいろいろあって、開演ぎりぎりの到着。でも5分押したんで、息を整えることができた。会場に入ってびっくり。あまりの観客の少なさに。まあ、仕方ないよね。平日の夕方。普通に働いてる人で、行ける人のほうが珍しいって。

最初のシーン。暗いなか、男が懐中電灯を持って登場。舞台をわざわざ一周してから、台詞を言い始める。

そんときのぼくの心のなかの言葉。
「おいおいおい、登場したらすぐに台詞を吐きゃいいんだよ。わざわざ一周する必要なんざ、ねえだろう」
でもこれは後で、男が好きな女性と追いかけっこするシーンの伏線だったんだよね。ぼくが間違ってました。すんません。
それから、最後にも爺さんになった男が、空想のなかの好きな女性と追いかけっこするんだよね。

いや、それでもやっぱり最初の『わざわざ舞台一周』は必要ないような気がするな。冗長だと思うな。細かいことだけど。


違和感があったのはそこじゃなくて。
最初に登場して、「これからぼくの知ってるすべてを話します」と言っていた男は、幾つだったんだろうってこと。まだ若かったはず。少なくとも老人ではなかったはず。
ところが、最後のシーンでは男は老いていて、好きというわけではなかったもうひとりの幼馴染みと結婚している。
最初に登場した男は、幾つだったの?
「これからぼくの知ってるすべてを話します」って、未来の老後のときのことまで知ってたの?

もし最初に男に説明的な台詞を喋らせたいのなら、その男は老人にすべきだったのでは。

それに関連して、ぼくの意見は以下のとおりです。
最初に男が登場して、説明的な台詞を言う場面は必要なかった。途中、時間が逆行して、子供のときのことに戻ったりしたけど、それにも意味はないのでは。
子供のときから大人になるまでのエピソードを順番に語っていけば、それでよかった。時間を前後させる必要は特になかった。いや、まあ、ひとつの意見として。
好き勝手言ってます。ごめんなさい。


上演が始まってすぐに思ったこと。
「ああ、これは。途中で眠くなってしまうパターンかも。眠いの我慢するのやだな~」
(最初に一周するのが、よっぽど冗長に思えたんでしょうね、てへへ)

ところが、不思議と眠くならなかった。不思議って言っちゃ悪いね。でもそうはならなかったのは、役者の面白さであり、演出のいろいろな工夫があったからなんだろうなあと。飽きさせない工夫があった、と思う。後ろの席に座ってたら、ほんのり雪が降ってきたりしてたし。なんかすっごい微妙~って思った。気づかない人も一杯いたろうな。


「隣の国では戦争をしているらしい。でもぼくには関係ない」
新聞を破って捨てる男。
でもヨシタケ(だっけ?)がチリにいて、そのとき大地震が起こったと聞かされると、破った新聞をつなぎ合わせて読もうとする。
ああ、なんかすごくいいシーンだったなあ。
でもそのへんのイメージをもっと掘り下げたり、広げたりできたらよかったのになあとも。欲張りですが。


次の芝居の開演まで時間がなかったので、終演と同時に席を立ち、会場をあとに。忙しなくて申し訳ない。




2013年3月11日月曜日

突劇金魚『絶対の村上くん』

これも『若手演出家コンクール』のなかの演目のひとつ。これで4つの演目、すべて観ることができた。ちょっとした達成感


日曜日の昼間、下北沢へ。
時間がまだあったので、以前から気になっていた近くのドーナツ屋のドーナツを食べてみる。160円と高いので、いまで我慢していた。
でも一度くらいは食べてみないと。
びっくりしたあ、美味しくて。
食べたのを後悔したほど。これからどんどん買って食べてしまいそうで。
ミスタードーナツのなんとかリング。あれ、美味しいといわれているけど、こっちの160円のやつに比べたら全然違う。


大阪で活動している劇団のようで、登場人物はふたりとも大阪弁。あるいは関西弁

高校生や大学生のときは、小説みたいなものを書いたりするよね。
二人はともだちで、そういったものを書いてお互いに見せ合ったりする仲。
一人は、中学生のときに、なんだったかな、なんとかなんとかコンクールで賞をもらっている。そのときの小説のタイトルが『鶏と未成年』だったかな。あるとき家で飼ってた鶏の首がちょん切れて玄関に落ちてて、みたいな物語。

その賞をもらったほうの男は、そのうち小説を書くのなんかやめて、会社で働き出し、そのうちどういうはずみかゲイバーみたいなところでも働き始めたり。いろいろある様子。

でももうひとりは、気が狂っちゃったみたい。心のなかの鶏さんとお話している。小説をせっせと書いているようだけど、ノートは真っ白。そして最後には自ら命を絶つ。

鶏は、被り物で登場するのだけれど、その被り物がよく出来てた。

物語は物語としてよくまとまっていた。しかし物語としてではなく、上演される芝居としてみると、物足りなさを感じた。このわかりやすい物語から、はみだす部分がもっとあってもよかったのでは。

たとえば、書くのをやめてしまう男は、ゲイバーみたいな笑いをとる方向に走らず、会社勤めしているけどうまく行かないとか、役職の話とか、結婚したとか、子供が出来たとか、もっと実人生での出来事がたくさんあるはず。

書き続けて気が狂う男についても、どんな小説を書いているのか、あるいは書いていないのか、漠然としていて、はっきりとしたイメージを掴むことができなかった。

「体験したものを書け」と鶏さんに言われて、何かを一生懸命に体験しているみたいだったけど、具体的にはなんなのかわからなかった。
イメージが広がらなかった。


最初に忘れていったノートを、もう一人が覗き見する場面がある。それが次にどう繋がっていくのかなあと思って観てたら、なんにも繋がって行かなかった。ぼくが何か見落としたんだろうか。

2013年3月10日日曜日

劇団チョコレートケーキ『親愛なる我が総統』

昨日の夜は、表題の舞台を観たよ。下北沢の『劇』小劇場

稽古後下北沢へ。夕方5時半くらいには到着したけど、なんにもすることがなくてさ。駅周辺をぶらぶらするのも飽きて、下北沢タウンホールってとこに初めて入ってみたら、ホールに座るとこがあったんでそこでずっと待ってた。稽古で体を動かしたから疲れてたんだな、きっと。椅子に座って眠るなんてほとんど初めての経験かと。
1時間くらい寝てた。

さてそろそろ行ってみるか、『劇』小劇場へ。行ってみると、すでに人が並んでいる。しまった、もっと早く来て並ぶんだった。でも、これぐらいのほうがいいかも。どうせ当日券扱いだし。

当日券扱い。そうなんだよ。当日券扱い。この舞台、予約のメールを入れたときには満席で予約出来ませんとのことだった。でも席を増やすことになりましたっていうメールがあとから来て。とはいえ通常の予約ではなく、他の予約客が入ったあとの入場になりますとのこと。
つまり入場は後ですよ、頑張って並んでも、すぐに入って座りたい席に座れるわけではないということ。

でも結果的にはそれが功を奏した感じ。
あとから入ってみると会場は超満員。通常の最前列の席とステージの間の通路にも座布団が敷かれ、人々が脚を抱えて座っている。しかもギュウギュウ詰め。
ずっと昔の小劇場の芝居を思い出したよ。あの頃は、みんな桟敷席で辛い思いをして観劇してたよね。
僕が座るように指示された場所は、最前列の一番端っこ。壁よりの場所。そこにちっちゃな丸椅子が置かれていて、そこで観るようにと言われた。丸椅子かあ。一瞬思った。でも次の瞬間には喜んだね。だって近くの観客はみんな体育座りなのに、その辺ではぼく一人だけ椅子で高い位置から観ることができる。視界が広い。いちばん端だから、ちょっと見切れるけど、そんなに気にならない。
あとから入っていって優遇されてる感じ。周りの人に申し訳ない気分にも。
いや、ごめん。こんなこと長々書くことじゃないよね。すんません。

この芝居も若手演出家コンクールの対象のひとつ。
劇団チョコレートケーキについては、去年、『熱狂』っていうのを観たな。あれもヒットラーのお話しだった。ヒットラーが出てきて、演説してた。あれは正直いって辛かったな。ヒットラー役の人が頑張って汗かいて真っ赤になって演説するほど、こっちは眠たくなってきて。
眠気堪えるのってつらいよね、ほんと。
関係ないけど、芝居を観てて眠くなるのって不思議だよね。芝居のあいだはずっと眠いのに、芝居が終わった途端、眠気が覚めるの。あれってどういうわけだろう。


で、肝心の『親愛なる我が総統』のほうはどうだったかというとね。なんだか物凄いものを観たって感じ。驚いたね。

登場人物は4人。アウシュビッツ強制収容所の所長でもあったヘース。いまは捉えられ、裁判に掛けられようとしている。予審判事とその部下。それから精神科医

捉えられて判事や精神科医から質問を受ける。その質問に淡々と答えるヘース。

「私はヒムラーの指示に従っただけ」
「最初の実験のことはあまり覚えてません。きっとショックだったのです。でも次の実験のときのことはよく覚えています」
「私は鬼畜ではありません。人間として裁判を受けたい」

あくまでも冷静に語るヘース。しかし冷たさはそれほど感じない。人間味さえ感じる。
しかし最後の精神科医との問答。

「ユダヤ人もドイツ人も同じ人間なのですよ」
「いや、そんなことはない。ドイツ民族を愚弄しないでくれ」
「あなたは人間として裁判を受けたいと言ったではないですか。ユダヤ人もドイツ人も同じ人間なのですよ」

あ、いや、ちょっと違う。うまくニュアンスを伝えられない。

舞台全体として見ると、動きが少なくて、暗い印象。
でも、1時間気持ちが途切れることなく、舞台に集中できた。『熱狂』とは全然違っていた。
舞台セットもよかった。鉄格子がはまった窓からの光も面白かった。
やっぱり物凄いものを観たって感じ。勉強になった。



劇団印象-indian elephant-『青鬼』

今日は忙しいような忙しくないような一日だったなあ。

十時半には家を出て、下北沢で表題の芝居を観て、終わったらすぐに芝居の稽古に行って。
それが終わったら、また下北沢まで戻って、別の芝居見物。でも開演まで時間がたらふくあったから、それを潰すのに苦労した。結局下北沢タウンホールってところで、椅子に座って1時間くらいも寝てた。海外なら絶対に置き引きされたな。ぐっすり寝てたからね。椅子でも寝られるようになったんだなあ、わし。
芝居を2本も観て、稽古もあって、忙しい感じなのに、時間を潰すために椅子で寝てたという、、、忙しいような、忙しくないような一日でした。

表題の芝居は、昨日と同じく『若手演出家コンクール』のなかの演目のひとつ。前から二列目、真ん中の席で拝見しました。

アラスカ新婚旅行に行った時に食べたなんとかイルカの味が忘れられなくて、密輸入して家にいけすまで作って食べるようになってしまった男。
ところがイルカが一日のうちに進化してしまう。脚が生えて、歩き出した。外に出歩くようにもなった。鮨を食ったり、ステーキをこっそり食い歩いたり。どんどん人間化していく。
男は逆にイルカ化していく。手がなんだか青くなってイルカっぽくなってきた。会社にも行けない。
わあ、大変。どうしましょう。
会社には逆にイルカのプーチンが勤めるようになる。
これはいかん。どうすればいい?
妻と考えた結果、人間を食べることに。イルカを食べたからイルカ化したのだ。だったら人間を食べればよい。そんなわけでそんなに親しくもない知り合いを家に呼んで、隙をついて殺してしまう。
その後のすったもんだの挙句、男の妻は、人間化したイルカを殺して、男と二人で食っちまう。

そんなふうな物語。ナンセンスですな。
そこに意味とかを求めちゃいかんのだろうな。
ただたんなるナンセンスな芝居を楽しめばいいのかもしれない。

出てくる俳優みんな「役者やの~」って感じの人達ばかりで楽しめました。特にイルカ役の女優。脚と腰の動きが面白かったです。殺されることになる男も、いい味出してました。

演劇的なクライマックスは、いちばん最後。妻がプーチンを殺してしまうところが、クライマックスかと。これも短かったなあ。しかも、なんか無理やり感たっぷりクライマックスだったので、そんなに感情移入は出来なかった。
だっていままで人間を食べれば人間になれるって思って、人を一人殺しているのに、次の瞬間に妻がイルカを食べるのをやめたからイルカ化したのだと断定。それでイルカを殺してしまう。
でも、でも、その根拠は? なし。そう妻が断定しただけ。

最初のほうで、家のことはなんでも妻が決定していた、みたいな前振りはあるけれど、それにしてもこの断定は無理やり感たっぷりでいただけない。そういう意味で、結末はがっかりしたな。
けれども途中は面白かった。

不幸だったのは、すぐ隣になんでもかんでもすぐに笑い声を上げるおばさんがいた事。笑いのハードルが低すぎる人がいるのも困りものですよね。確かに面白いけど、そんな笑い声を上げることないじゃんって思って。そういうのってなーんか引いちゃいますよね?
芝居のせいじゃないんですけどね。不幸でした。それが残念。


全然話が違うんだけど。下痢が治って、体調的には完全復活。すっごく元気。
でも、下痢が治ってから、すっきりしたうんちがまだ出ないんだよね。
今度は、便秘? 明日こそすっきりうんちで出ますように。



2013年3月9日土曜日

天辺塔『箱』

一昨日まで数日体調崩していたのが悔やまれる。
予定していた芝居見物が出来ず。見逃してしまったものがいくつか。
教訓。体調管理は万全に。

でもどうして下痢になんかなっちゃったんだろうなあ。胃腸は丈夫なほうだったんだけどなあ。
あれかな。水関係でいえば、地下鉄の冷水機の水ごくごく飲んだような気がする。
あれがいけなかったんだろうか。わかんないけど、とにかく冷水には気をつけたほうがいいな。もう若くないんだし。

今日は夜、下北沢「劇」小劇場『若手演出家コンクール』ってのをやってて、それを観に行ったよ。
今日の演目は、天辺塔っていう広島の劇団の『箱』

女性4人が出てきて、いろいろやってたよ。箱をテーマにした短い脚本をいくつか用意して、それを演出家がコラージュして出来上がった舞台。普通は『構成』っていうと思うけど、『コラージュ』って呼んでるのが、なんとなく女性っぽくていいなあ、と思ったなり。

女性が4人出てくるけど、そのなかの一人がものすごく舞台映えする人で、その人に眼が行きがちでした。ああいう人が4人いて、舞台上を動いていたら、それだけで素晴らしいだろうなあと思ったり。

箱をテーマにした物語だということだったけど、よくわからないまま終わったものもあり(いや、へっぽこな僕が見逃してそう感じただけだと思うけど)。

でも動きなんかは面白くて、よく訓練されていて、素早い動きが印象的でした。

一応演劇的なクライマックスも用意されていて、ここで盛り上げようとしてるだなあというのはわかった。でも時間的に短くてあっというまにクライマックスは過ぎ去ってしまった。残念。もっと観たかった。

演劇的なクライマックスを作るときは、その前に何かの問題が浮き彫りになったり、気持ちが大きく揺らぐシーンがないと、次のクライマックスがなかなか効果的に働かないような気がする。『箱』にも、きっとそういう気持ちの盛り上がりのようなものがあったのだろうけれど、僕がぼんくらなもんで見逃してしまったんだろう。
だからクライマックスはクライマックスだけっていうことになって、気持ちのさらなる高揚みたいなものには繋がらなかった。それも残念でした。

2013年3月8日金曜日

東京演劇アンサンブル『忘却のキス』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

昨日は西武新宿線は武蔵関に行ってきたよ。急行で上石神井まで行って、そこから各駅停車で一駅だ。

武蔵関は、ぼくが東京に来て初めて住んだ場所。住んでたところにも行ってみた。
ここだよ。

北海道からの学生を受け入れる北海寮。
でも建物は新しくなってる。なんか綺麗。
ぼくがいた頃はテニスコートなんかもあったような気がするけど、そういうのは無し。
隣にTSUTAYAやファミリーマートがあったりして、なんだか便利そう。

久しぶりに武蔵関に来たけど、なんにも覚えていない。
来たら何か思い出すかもしれないとおもったけど、なんにも思い出さない。
寂しい駅だけど、駅前には、白木屋だったかな、居酒屋なんかもあった。


どうして武蔵関に来たかというと、芝居見物のためでした。
東京演劇アンサンブル

学生のときに一度くらいは観たような気がする。だから何年も何年もずっと昔のことになる。
どんな芝居だったのか。覚えてない。でも、あんまりよくわからなかったなあという印象がなんとなくある。
今回はどうなんだろう。あの頃よりはもうちょっとはわかるんじゃないのかなあと思いながら、ブレヒトの芝居小屋まで歩いた。
東京演劇アンサンブルは、ずっとこのブレヒトの芝居小屋で、芝居を上演しているのだ。
待合室のポスターなんかを見ると、55周年という文字が見えた。
ひえーっ、そんなに長いことやってんのか。すごいなあ。


7時に開演して、9時半終演。2時間半は長かった。正直くたびれました。
広い空間で、舞台が真っ白で綺麗でした。壁がパネルになっていて、クルクル回転して、役者の出退場の通路になる。その感じがとっても面白かった。

医師役の白髪のおじいさんが、よかったです。

アコーディオンの演奏があって、それも素晴らしかった。


物語はというと、、、よくわかりませんでした。
ある突発的な出来事から結びついたカップルがいて、旅行に行ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、別れたり(もしたっけ?)。男のほうが死んで、女はその告別式で知り合った男とまた付き合うようになる。

女のベッドの周辺にはたくさんの人がいて、なんか喋っている。彼らは幽霊? そのなかには、つきあっていた男もいたしね。観客には顔を向けず、終始向こうを向いて喋っていた。

最初と最後には11人の映画の観客屋根裏部屋に集まっていて、よくわからないことを話している。この人達は誰? 屋根裏部屋ってどこ?

主人公を演じた女性。
告別式ですぐまた別の男とつきあいだすような、そんな感じの女性には見えず、違和感が。最初の男とつきあう様子も、なんとなく『らしくない』感じが。だからなのか、観ていて退屈を感じた。

かなり高齢だと思うのですが、医師を演じた方と、もうひとり患者の男と、ふたりのシーンがあるのですが、そのシーンで眼が覚める思いがしました。
医師役の方は高齢で、口がよく回らず、声が聞き取りにくい。でも一生懸命聞き取ろうとしていると、なんだかすごく面白い。味がある。
一方主人公の女性役の方は、声もいいし、よく通るのだけれども、なんとなく退屈。
その対比が、芝居というものを考える上で面白いと思った。

それから映像表現がうまく使われていました。
舞台全体が白い壁で覆われていたのは、壁をスクリーンとして使うためなのですね。
映像はすごく頑張ってたのかもしれない。その苦労の程はぼくにはわからない。しかし舞台全体を覆う映像は、大雑把な感じもしないではなかった。
まだまだ解像度が足りないってことなのかなあ。

最初にが舞台全体を覆ったときには、ああ、きれい、美しい、と素直に思った。
でもそれがCGによくあるワイヤフレーム表示になったとき、がっかりした。どうしてなんだろう。
自分でもよくわからないんだけど。ワイヤフレーム表示があると、なんとなく素人相手に「CGだよ、すごいでしょう」って言われてるような気がして、ということなのかなあ。

役者がの話を持ち出すと、蛾の映像が出てくる。燃える話が出てくると、の映像が出る。
それはすごくわかりやすいけれども。どうなんだろう。これも説明的すぎてちょっと。

炎の映像が出るとき、照明が暗く落とされていた。これは炎の映像を綺麗に見せるための演出なんですよね? だとした、それにはぼくは反対です。役者の顔のほうをもっと観たい。でも暗くて見えない。イライラしました。

そう考えると、映像表現は必ずしも成功とはいえなかったのでは。効果的なシーンもあったとは思うのですが。



2013年3月6日水曜日

体調不良は続く

やあ、みんな。元気かな。風邪なんか引いてない?

ぼくはね、元気ない。申し訳ないけど。
芝居見物の予定だったけど、キャンセル。
家に閉じこもってた。午後は寝てた
明日は病院に行こう。

朝はお粥。ほうれん草入り
夜は、豆腐の味噌汁
これで胃腸のほうも、うまいこと収まってくれないかなあ。

2013年3月5日火曜日

体調不良

やあ、みんな、まあちゃんだよ。元気かな?

ぼくはというと、体調がすぐれないんだ。

声の調子はよくなってきたかな。『響声破笛丸料』を土曜日夕方から服用。日、月と2日経ち、今日で3日目。声が出るようになってきた。よかった、よかった。

ところがね。体調はよくない。下痢がひどいんだよ。土曜日から急にひどくなってきて。
日曜は最悪。体に力が入らない。
月曜はちょっと持ち直した感があったんだけど、夜、友だちとワインを飲んでしまったんだ。
それがよくなかった。再び体調は下降線を辿る。
今日は火曜日。まだ下痢は治らない。
発熱嘔吐はないから、ノロウイルスではないとは思うのだけど。
一晩寝て明日の朝、まだ調子が悪かったら、病院に行ってみるつもり。
なんとか持ち直しますように。

今日は劇団かさぶたの稽古の日だった。
ところが「今日は抜き稽古をする、まあちゃんの出番はない。だからまあちゃんはお休み」というメール。
休もうか休むまいか迷っていたので、ちょうどよかった。声のほうもまだ完璧ではないからね。
お休みすることができて嬉しい。

今年の冬は、体調的には辛かった。ちょっと寒いとすぐに風邪を引いたし、その風邪もなかなか治らず長引いた。そして今回の声の枯れと下痢。防衛体力が落ちてるのかな。

健康に。健康に。

2013年3月3日日曜日

十七戦地『獣のための倫理学』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

昨日も稽古が終わったあと、芝居見物に行ったよ。
早稲田鶴巻町
LIFTっていうスペースがあって。
劇場でもなく。単なる空間。普段は何に使ってるんだろう。

備え付けの客席はなくて、部屋の両側に椅子が並べられていた。
観客は全部で30人くらいかなあ。40人はいなかったと思う。

コリッチでの評判がすごくいいので急遽予約した。
こういう場合、失敗することが多いんだよね。
すごく期待していくんだけど、そうすると期待はずれに終わったりして。
あんまり期待しないて行くと、逆にすごく面白かったりね。
人間ってのは、贅沢で、我が儘で、気まぐれなもんですな。

このところ体調がよろしくなくて。喉をつぶして声も枯れてるし。
満身創痍な感じで、開演前もずっと眼を閉じて、瞑想していたというか、眠っていた。
「開演しても、眼が覚めない。眠いの我慢するの、辛いんだよなあ」

でも開演と同時に緊張感のある芝居が始まって。
眠気はすぐに吹っ飛んで。いやあ、素晴らしかったです。
掛け合いにもテンポがあって、飽きさせない。
一人ひとりがその役を生きていたし。

物語も面白かった。
35年前の大量の殺人事件。それをワークショップで疑似体験しながら、真相を探りだしていく。
すこしずつ出てくる新情報が、物語を展開させる起爆剤になる。その展開が面白かった。

ただね。
結末が納得出来なかった。
殺人犯の身代わりになって、自らすすんで死刑になった男。どうして身代わりにならなければならかったのか。その理由がぼくには納得できなかった。それが残念でした。

2013年3月2日土曜日

稽古で声を枯らしちゃったよ

やあ、みんな。まあちゃんだよ。次回公演の稽古の真っ最中。

困ったことが発生しちまった。
声が枯れてしまったんだよ。どうしよう。
喉を使わずにしてれば自然に治るものなんだろうけど、稽古がある度に喉を酷使してしまうからね。なかなか喉を休める暇がない。

なるべくを使わないようにして、で響かせるようにしようと思ってるんだけど、芝居の途中で夢中になると、どうしても喉に負担を掛けてしまう。
修行が足りないな。

本番までこの調子が続くと、大変なことになってしまう。
発声方法を変えて、喉に負担を掛けないようにすること。それがいまのぼくの課題なのであった。

検索してたら、エスタック漢方「響声破笛丸料」エキス顆粒がいいみたいな書き込みを見た。
それも試してみるつもり。効くといいな。

なんかいいアドバイスがあればよくしく。

公演は3月下旬だよ。
ぼくが舞台狭しと跳ねまわってる姿を観ることが出来るからさ。
絶対に観に来てくれよな。
それまでに美声も復活させとくからさ。

劇団かさぶた未在公演『お父さんの背中』

シアターカンパニーOrt-d.d『わが友ヒットラー』公開稽古

公開稽古ってのを観に行ったよ。金曜の夜。

にしすがも創造舎
廃校になった建物を利用して、いろいろな活動に利用しているらしい。
早めについたので二階にあるサロンってとこでしばらく休憩させてもらった。
サロンには、主に演劇関係のフライヤーが置いてあった。演劇関係の図書なんかも置いてあった。
演劇関係で利用しているところが多いらしい。


シアターカンパニーOrt-d.d(オルト・ディー・ディー)の稽古もそこで行われていた。

7時から9時半まで。
てっきり通し稽古かと思ってたら、そうではなくて、いろんなシーンを何度か繰り返していた。
こういう稽古を観るのも興味深い。
演出と俳優のやり取りなんかも面白い。俳優が結構演出の言いなりなんだけど、どうなんだろう、それ。そういうもんか。

演出の指示が微妙すぎて、ぼくにはよくわからなかった。
きっと何度も観てないとわかんないんだろうな。
わかんないから、なんとな~く眠くなってきて。
こんなところで居眠りするわけにも行かなくて、結構きつかったっす。
眠気を堪えるのって、ホント、辛いですね。

『わが友ヒットラー』、10分の休憩を挟んで2時間半だってさ。長いね~。
もうちょっとかいつまんで、休憩なし、1時間半くらいに抑えてくれればいいのに。

札幌で公演して、そのあと東京だってさ。
ヒットラー役の人が、ちょび髭生やして、髪型もヒットラー風になってて似てた。



2013年3月1日金曜日

劇団SHOW&GO FESTIVAL『今宵見上げし梅鴬の雪積もり願ふる喜多方の春』

木曜日の昼。築地本願寺にあるブディストホールにて。

タイトル長過ぎて覚えられません。


「東北復興支援第2弾!
喜多方駅を舞台にした、ローカルコメディ!!」と銘打ってました。

喜多方駅が舞台で、みんな東北弁(でいいのかな)で話してました。
でも聞きやすくて、意味は全部わかりました。

ぼくの母親の実家が秋田で、当然のことながら、みんな秋田弁です。
ぼくは秋田のおじさんやおばさんが何を喋っているのかわからないことも多いです。
だから東北弁がすんなり入ってくることに、ちょっぴり戸惑いも。
いや、別に聞きやすけりゃいいんで、戸惑う必要もないんですが。
ただ現実はこんなには聞きやすくはないだろうなあと思っただけ。
芝居なんだから、聞きやすいほうがいいですよね、そりゃ。
わざわざこんなに字数かけて書くことでもない。

喜多方駅にふらりと現れた主人公が、またふらりと去っていく。
(ちょっぴりニュアンスは違うかもしれませんが)
駅周辺で働く人達のこころの暖かさがほんのりと表出される。
そんな感じの物語でした。

キオスクで働くおばさんコンビが面白かった。笑ったよ。