2013年5月31日金曜日

おぼんろ『ビョードロ』

日暮里d-倉庫。

金曜のマチネは言い値公演なので、狙って観に行きました。このちゃっかり屋さん。

前回の、池袋の芸術劇場の展示室で催された番外公演?『泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら)』がよかったので、期待してたんだけど。

芝居の内容はというと。
d-倉庫がちょっと広いせい?いや、そんなことないと思うんだけど。
展示室での演技は、自由で伸び伸びしてて魅力的だったんだけど。
今日はなんとなく違ってた。「頑張って面白いことしなゃきゃ」的な気持ちが強かった?

「おはよう子供ショー」の寸劇みたいなのを連想しました。
もうちょっと大人向けに軌道修正したほうがいいのでは。

でも隣で観てたひとは終わってすぐ鼻をグスグスさせてた。感動したっぽかった。受け止め方がひとそれぞれなのは当然ですが。

話の内容は、じつはよくわかんなかったんだ。でも、展示室のもじつはわからなかった。それでも面白かった。だから、わかる、わからないは、関係ないですよね。

美術とかね、客席とかね、客入れのときの雰囲気もね、独特で、これからお祭りが始まるんだなあと期待させられる。そういうのはすごくいいですよね。

遠くの客席のほうで、けっこう長い間アラーム音が鳴ってたような。なんだったんだろう、あれ。そういうのもちょっと残念でしたね。

写真撮っていいということでしたが、さすがに上演中はやっぱり迷惑だろうから、最初と最後のほう何枚か撮らせていただきました。

客入れ。皆さん、わさわさわしてます。

上演前にいろいろと説明してます。

上演終わって。
「ありがとうございました」




2013年5月30日木曜日

SPIRAL MOON 『月の岬』

下北沢の『劇』小劇場

最初、夫婦かと思ったら、姉と弟で。二人で暮らしている。結婚した妹が近くに住んでいる。弟の結婚式がすぐにあって。
弟夫婦と姉がいっしょに暮らすようになって、、、。

平和な日常と、ただならぬ状況が、ひゅるひょるっと繋がっていて。

隣の観客が、最初のほうですぐに居眠りし始めて。こっくりこっくりしている。ひゃ~、信じられない。
でも途中の緊迫して場面では、身を乗り出して観ている。極端なんだよ、あんた!と隣の女に気をとられつつも。

秋葉舞滝子さんてすごいなあ。こんなふうに出演しながら、演出もしてるなんて。
(すんません、お名前読めません)

企画演劇集団ボクラ団義『さよならの唄』

会場の六行会ホールは、自宅から歩いて二十分ぐらい。いいね!近くて。
大きなホール。満員というわけには行かなかったけど、結構埋まってたよ。平日の昼間だしね。

後悔している出来事があった時間と場所にタイムスリップするツアー。で、過去に戻って、やり直せるかというと、そういうわけでもない。ただ見てるだけ。そしてもう一度後悔する。

でも、外側からなら、客観的に見られるというか。後悔していることも見方によって変わる。
そんな発想の転換がいいね。

2013年5月29日水曜日

山の手事情社『道成寺』モルドヴァ・ルーマニア公演ゲネプロ

夜、表題の芝居を観に行ったよ。
ゲネプロってのは、本番通りにやる稽古のことだよ。
海外での公演だから、舞台美術や照明効果は無しだったよ。

時間間違えた。八時開始だと思ってたら、七時半だったようだ。会場の森下スタジオに到着したのが28分ぐらいで。ぎりぎり間に合った。会場はほぼ埋まっていたよ。よかった。時間に余裕を持って来て。
ファンもいっぱいいるんだなあ。だってゲネプロにこんなに集まってる。500円。

山の手事情社の芝居は、去年、芸術劇場『トロイラスとクレシダ』ってのを観たよ。あれはちょっと厳しかったなあ。申し訳ない。

でも今夜の『道成寺』は、よかったよ。特に前半。人物の動きがよかったのかな。人物同士がちゃんと反応しあっていた感じ。
でも後半は、ちょっぴり退屈した。なんか、こう、形だけになってたかも。あるいは、僕のほうの集中が切れたか?

いや、あと、意味がわかんなかったりしたってのもあるかも。
だってぼくは『道成寺』は、絵本でしか読んでないからね。能の絵本ということだったと思うから、能の『道成寺』なんだろうな。

ぼくは日本語それなりにわかるからいいけど、これ、日本語のわからない人が観たら大変だな。上のほうのスクリーンに対訳が英語と現地語?で出ていたけど、それを読みながら芝居なんて観ることができるものなのかな。
スクリーンがもっと低い位置にあればいいのに。なるべく視点移動を少なくしないと。ここで言っても仕方ないけどさ。

山の手事情社って、象徴的な表現が多いような気がする。観念的というか。何かを象徴したり対比したりするような構成。でもぼくにはそれが何を象徴しているのか、何を対比しているのか、すぐにはわかんなかったりするんだよな。とほほ。

前半と後半の間に、上手で男たちが靴で遊ぶ場面がある。それが終わると、下手で女達が脚をローションでぐちゃぐちゃやる。これを何かを対比させているんだろうけどね。たとえば男たちにとっては子供みたいな遊びでも、女たちは真剣だ、みたいなね。

煙にまかれるみたいな演出は嫌い。なんでもわかりやすくしてほしい。本当に面白いものだったら、わかりづらくても可。

海外公演といえば、こないだ観た庭劇団ペニノもやるんだよね。もうやったのかな。わかんないけど。それがどんなことになってるのか観たいなあ、庭劇団ペニノ。
でも無理だよなあ。でももう一度観たいなあ。でも無理だよなあ。でも、、、以下朝まで続く。


写真撮ってもいいっていうんで、途中何枚か撮ったよ。


開演前、主宰のひとが挨拶してたよ。
「写真撮って、ツイッターとかで広めてね」


開始直後。意味不明だけど、
きっと何か意味のあることを表現してたんだと思うよ。
パッパカパーのぼくには意味不明だったけど。


『道成寺』について説明してた。

これはなんだろう。蛇が川を泳いでいくのを表現してたのかな。


山の手事情社の「四畳半」っていう演技形態?
みんなで集まって、ゆっくり動きながら会話してる。
ぼくはこういうのはあんまり好きじゃないんだよなあ、じつは。


人間力で、スペクタクルっぽい感じを作るのはいいよね。

大人が靴で遊んでました。
これも意味がよくわからなかったりしたんだ、じつは。
赤い蛇が出てきて、火山が噴火したりしてたのかなあ。

ポップンマッシュルームチキン野郎『仏の顔も三度までと言いますが、それはあくまで仏の場合ですので』

新宿サンモールスタジオ。

勇気ある者よ。
いっしょに観に行ったアラブ人が怒ってたよ。「絶対やってやる!」
何を?って聞いたら、笑ってたけど。
でもその笑い方が、不気味だったよ。気をつけるべし。

だってね、「中東事変」っていうアラブやイスラム教をおちょくったようなバンドがね、案の定、過激派を怒らせたらしくて、次々に殺される。生き残ったボーカルとブロダクションの社長。
アラーの教えにしたがって、父親と叔父を仲直りさせに、実家の寺へ。

寺には妖怪が住み着いていて、いろいろと問題を起こすのだ。
ブロダクションの社長も、じつは妖怪で。こなきジジイ。

でもって最終的には爺さん二人は仲直りして、めでたし、めでたし。よかった、よかった。


それにしても自分の思い通りに瞬時に冷や汗をあんなに大量にかけるなんて、すごい才能。
あのキャラ、すきだな。

それからカッパの化粧。完璧だった。顔の造作にぴったり合ってた。これは褒め言葉なのか。それとも、、、。

最後は妖怪バンドの登場か?と思ったけど、それはなかった。さすがにそこまでやるのは大変だろうしね。


芝居が終わって、挨拶にみんな出てきたとき。「ええ!こんなに出てたの?」
いっぱい出てたんだなあ。それにもびっくり。

劇団桟敷童子『風撃ち』

コリッチでの評価が異様に高いからさ、仕方なく予約して観て来たよ。ま、仕方なくってわけでもないんだけど。
どうも趣味じゃないような気がして。でも一度くらいは観てみないとね。話題なんだし。

明治30年、日清戦争後
戸籍をつくるために、人間(ひとま)島へ。三人の男。それから鉄砲撃ちの女性とかガイドの婆さんとか。

風撃ち。鉄砲撃ちの女が風を読んで鉄砲を撃ち、風向きを変えることができる。

カリド。人間島に住む民。

人身(ひとみ)。人身御供のために育てられる子供たち。

はぐれカリドとかも出てくる。

三人の男は、そのうちに全員死ぬかおかしくなる。
一人はノイローゼ気味で鉄砲で仲間を撃つようになる。そのうち襲われて、、、。
もう一人はカリドの女とできて、人間島に住み着こうと考え、帰るためのを燃やして、自分も死んでしまう。
もう一人は18代目そうげん斎と名乗って民の導き役となるが、いろいろとショックなことが重なって廃人に。

カリドの民は、何人か死んでしまったけど、元気。ヒトミの子どもたちも元気。

『七人の侍』を連想させたよ。最後は侍がほとんど死んでしまうけど、農民はたくましく生き残る。

関係は全然違うけど、『風撃ち』も、島にやってきた男どもは死んで、カリドは助かる、みたいなね。いや、助かったわけでもないけど。これもたくましく島で暮らしている。
まあ、もともと男たちが来なければ、島は平和だったわけだけど。はぐれカリドは殺されただろうけどね。
そう考えると、男たちは勝手にやってきて、勝手に死んでいったということになるのかな。災難だったのは、巻き添えで死んでった人たちだね。まったく迷惑。

男たちは何かに拘り過ぎたということなのかなあ。

広い会場で、舞台セットがすごかったな。
臨場感があった。迫力ありました。観に行ってよかった。いい経験でした。

終演後の会場前。ノボリがお祭りみたいです。

2013年5月28日火曜日

みけねこ企画『ゴドーを待ちながら』

秋葉原のアトリエACT&Bっていう場所。
初めて行ったよ。なんか椅子が座りづらくて。辛かったかな。

『ゴドーを待ちながら』をほぼその通りにやってたと思うよ。

ただ現代風の武器として、携帯iPadなんかを持ってて、一生懸命指先でスクロールしながら台詞を言ってる。台詞の内容と合わないような気がして、違和感が。

それに楽だよね。台本をそのままやるよりも、携帯とかiPad持ってたほうが。間も埋めやすいだろうしね。そんなの使わなくても現代風に出来ると思うけど。日常でもいつも手に持ってて、芝居に出るときにも離せなくなってしまったのかな。だとしたら病気だね。ぶるる。いや、ごめん。ごめん。違うよね。

冷房がんがん効かせてくれたのは、眠ってしまわないようにという配慮かな。でも当初憂慮してたほど退屈ではなかったです。当初憂慮してたほどは。当初憂慮してたほどは。
ところどころ退屈だったかなとは思うけど。

戯曲のテーマとかはもちろんあるだろうけど、こんな少人数の芝居だと、登場人物の濃密(あるいは希薄な)な関係性、とか関係性の変化とか、そういうのをきっちり描くことで面白さが出ると思うんだけどな。それを描こうとする意志は、演技にも演出にもなかったような気がする。



ワンツーワークス『恐怖が始まる』

中野HOPE。みんなで数を数えてたよ。

社会派っていうんですかね。原発事故後の話でしたね。

事故後の処理の仕事をしているお父さん。
労災だけど、労災申請すると他の人に迷惑が掛かるからしないんだってさ。下請けだから。そんなのすると仕事がなくなる。他の従業員の仕事もなくなって困るっていう論理。
大変ですな。意地を張るっていうのも。命がけの意地。そして白血病で死んでしまいましたとさ。

終演後のアフターイベントで公開ダメ出しってのをやってたよ。演出の古城さんが、劇団員にダメ出しして、返し稽古。それも結構面白かったな。

『恐怖が始まる』っていうタイトルは、あんまりぴんとこなかった。

泣く演技が嫌いなんですよね。
最後、みんながこちらを向いて、数を数えるんだけど。泣きながら、あるいは泣くのを堪えながら数える、みたいな人がたくさんいて。そういうのは、なんか引きました。もっと抑えた演技にして欲しいなあと。
泣かせて欲しいのは、こちらなんだけどなあとも。

マグズサムズ『チェンジ・ザ・ワールド』

また面白い芝居を観て来たよ。マグズサムズ

劇団マグナムブラザーズサムライモンキーが合体して出来た劇団だということ。
といっても、マグナムブラザーズサムライモンキーも知らないけどね。

「世界をロックで変えるぜ」
吠えるボーカルのキラースズキ。
だが大事なライブの直前に、いろんなトラブルがどっと押し寄せて、、、。
いいよね、こういうの。トラブルが起きてみんなが右往左往して、すったもんだの挙句に、収まっていくっていう物語。すごくわかりやすいし、演劇的。

ストーカーとかとかラッパーとか、直前に辞めたギターの代役のシャークとかが現れて、いろいろやってくれる。バンドのメンバーたちもいろいろとやってくれるし、下働きの武田も大人しいだけじゃない。
それから最後に現れるラスボスともいうべき妊婦。がりがりの細い足で外股開きに歩くシルエットが印象的でした。

そして最後には発想の逆転が。
「世界はお前が変えなくたって、変わってるんだよ。自分が変わらないと、世界は変わらないんだよ」

最初から最後まで笑いが絶えなかったです。
あえて残念なところをあげるとすれば。どっかーんっていう大爆笑があったらなあ。それから、最後にほろりとさせられるところがあったらば。
欲張りすぎですかね。
フライヤーにすでに「自分を変えていかねえと、世界は変わらねえんだよ」ってあるけど、答えを先に書いてしまっているような感じがして、どうかなあと。
いや、でも、あえて言えばですからね。

あんまりよかったんで、帰りに初演のときのDVD買っちゃいました。800円と安かったし。
で、帰ってすぐに観たけど、やっぱり面白かった。
ファンになっちゃうかも。

『桃鉄』が出てきてなんか古いなあと思ったけど。初演のときからなんですね。いまもあるの?『桃鉄』。もうよく知らないんだ、ゲームの世界は。


2013年5月27日月曜日

イエノミはやめよう

このところ夜、芝居見物から帰る途中、つい途中のスーパーでビールを買ってしまって。家で深夜飲んでしまう。ひとりで。
この悪い習慣はやめよう。ほんとに辞めよう。ほんとにほんとに辞めよう。もう絶対に絶対に死んでも辞めよう。
そう決意したのが一週間前。

先週の月曜日にともだちと飲んで。先週の火曜日から金曜日までは飲まなかった。よしよしよしよし。偉いぞ、おれ。

それからこないだの土曜日、またともだちと飲み。それはまあいいよね。イエノミじゃないし。ひとりじゃないし。付き合いだから。

そして昨日。日曜日も悪魔の誘惑があったけれども、なんとか断ち切ることができた。ほんとに偉いぞ、おれ。

この調子で。

煙草とおんなじだよ。二、三週間も我慢したら、もう独りでイエノミなんて、考えもしなくなるよ、きっと。

2013年5月26日日曜日

トツゲキ倶楽部『笑うゼットン』

日曜日の夜。王子小劇場。

客席が手前側と奥側にある。対面型。

あんまり好きじゃないんだよなあ、対面型は。
上演中、つい向こう側の観客の顔を観てしまうんだよなあ。集中していたり、集中している振りをしていたり、寝ていたり、今日は耳を塞いでいる人もいたな。なんなんだろう、あのひと。ま、いいや。逆に僕も向こう側から見られていると思うと、余計な緊張しをしたり。

皆さん達者な役者さんばかりで、会話なんかも、観客の興味を切らすことなく見せることができていた。(ひゅーっ。どんだけ上から眼線だよ)

ただ。ぼくの理解力が不足しているだけだと思うんだけど。物語の眼目が何なのか。

ゼットンを倒したのは、科学特捜隊でもなく、なんとかかんとかでもなく、地道に怪獣を退治する兵器を研究開発していた誰かである。その誰かが助けてくれた。
絶望的な状況になっても、きっと誰かが助けてくれる。
アキバも北の基地で窮地に立たされるが、ヤナガワの妹(拉致されていると思われる)に助けられる。

発想の転換、みたいなものは感じられず。

演劇的なクライマックスはというと、みんなで集まってああでもないこうでもないと議論して、その後アキバとの電話がつながって、「ミサイルに核弾頭は積まれていない」という連絡を受ける、というあたりなのかなあ。
でも演劇的なクライマックスという感じはあんまりなかったなあ。

「クライマックス」というような考え方で作ってるのではないのかもしれません。

コリッチでの評価が高い割には、?な気持ちに。期待しすぎたかな。

激弾ショット『カストリ・エレジー』

今日は日曜日。昼と夜、芝居見物のはしごだったよ。どちらも場所は王子でした。

ひとつめが、激弾ショット『カストリ・エレジー』。コリッチでの評判がすごくいいので急遽予約。場所は思い出の、pit北/区域

『二十日鼠と人間』は、ずっとずっと昔に読んだ記憶が。頭の鈍いほうの男があやまって女を殺してしまうんだよね。どっかに文庫本があると思ったけど、、、。

あった、あった。ぱらぱらめくって読んでみたけど、残念ながら懐かしさはないな。すっかり忘れている。いま読んでるの(『ネエンデルタール人』)が終わったら、次はまた『二十日鼠と人間』読んでみようかな。

芝居のほうはね、すごくよかったよ。最初から最後まで、ず~っと緊迫した場面が続いて。集中が切れることはなかったよ。雨の音や、雨に濡れた感じとか、緊張感があってよかった。

最後の場面で、ケンがゴローを撃ち殺すんだけど、いったん暗転して、逆方向にアングル(位置)を変えてすぐに明転。ケンは外に出て行く。そういう暗転の使い方は、初めて観た。時間経過を表現しているのかな。面白い手法。


それにしても人間てのは傲慢へそ曲がりなものですね。

やるなと言われると、まるで自尊心を傷つけられでもしたみたいに逆にやってしまうことになる。そして墓穴を掘ることになる。
ゴローの場合は、まあ、ちょっと違うかもしれない。やるなと言われても、ついやっちゃうんだよな。仕方がない。
問題は女のほうだよな。「近づくな」とか「話すな」と言われると、自尊心を傷つけられたような気持ちになって逆上して、逆に近づいたり、話したりする。それで運悪く死んでしまうことになる。
ちっとは人を信用して、他人の助言に耳を貸すべき、と思ったね。自分ではわけがわからなくても。そういうこともあるんだよ。
でも素直にそうならないのが人間の性というか。

つまらない自尊心こそ、人間には必要のないものですね。もちろん芝居にもね。それからもちろん僕自身にもね。


でも小説を読むとちょっと違うな。
自尊心の問題じゃないんだよな。まあ、いろんな偶然というか。必然というか。悲劇というか。そういうので女は死んだし、知恵遅れの男は殺されたんだな。

レティクル座『世界☆タービン』

お披露目公演ってなんだろう。よくわかんないけど行ってきた。土曜のマチネ。

北池袋は新生館シアター。
駅としては東武東上線の北池袋駅だけど、JRの池袋からでも歩けなくはない距離だよ。だから歩いた。15分くらいかなあ。途中ラブホテル街なんかもあって楽しいよ。お薦め。

首の両側に魚のエラが出来つつあり、そのうち魚になってしまう少女が意識となって、自己の人体のなかを彷徨う。
心臓の細胞が、ガイド役。
すったもんだの果てに、結末は少女の「やっぱり頑張って生きる!」みたいな決意表明に。


「おれはマクロファージだ!」

細胞の番兵みたいなマクロファージが現れて、少女が敵か見方かテストしていたよ。
(肩についてるマシュマロ?を食べて、その味で判断する)
一度はオッケーだと思ったんだけど、鉄分がどうのこうのっていう理由で、やっぱり敵だということに。そして少女を追い詰めていく。

やや? マクロファージ? 知ってる、それ。だって僕、『ためしてガッテン!』欠かさず見てるもん。でも、なんだっけかなあ、それ。名前は覚えてるんだけど。どんな働きをするんだったか。山瀬まみさん、ごめんなさい。

マクロファージが出てきた途端、芝居が『ためしてガッテン!』に。衣装もそれを意識したようなもので。
うーん。なんだかなあ。

もっと支離滅裂なのかと思ったら、そうでもなかった。でもいいよね。わかりやすくて。

いやそういえば、少女の意識が自分の体内を彷徨っているのに、精子くんたちがいて、卵子に突入していったりして、支離滅裂といえば、支離滅裂なんですね。

2013年5月25日土曜日

不法侵入者第一号

昨日の夜、パソコンの前でごにょごにょやってたら、近くでカサカサ音が聞こえる。
なんだろうと耳を澄ましたが、何も聞こえない。念の為に立ち上がって、目視。何もない。気のせいか。
だが、しばらくするとまたカサカサと音が。
そっと伺っていると、出て来ましたよ。黒い奴が。いや、茶色といったほうがいいかもしれない。
一年に何回か家の中でお目にかかる。今年に入ってこれが初めてだ。
急いで立ち上がり、その辺の紙を掴みとって折りたたみ、に向かっていく。

精神的に強くなったような気がするな。以前はびっくりして怖くて近づくのもびびってたのに。昨夜は自らの足で踏み潰すのも厭わない戦いぶり。あっぱれであった。大いに気に入った。

しかしどこから入ってきたんだろう。窓はここ何日か開けた覚えがない。
大抵の侵入者は夏の夜を開ている間に入ってくる。でもこいつは違う。どこから入ってきたんだうろ。
だ。ナゾーだ。オーンブロゾー。

2013年5月24日金曜日

劇団サミシガリヤ『ノミの心臓』

やあ、みんな、まあちゃんだよ。

今日は下北沢シアター711に行ったよ。
ちょっぴり早めに到着してしまったので、いつもは行くことのない北口方面を散歩してみたよ。線路が地下化して、踏切がなくなって、行きやすくなってたしね。いつも行く南口とは違う雰囲気にびっくり。こういうふうになってたのかあ。

招待券に応募したら当選したので観に行ったよ。知り合いが出てるんだから、ちゃんとかね払って観ろよという意見もあるでしょうが。てへへ。



タイトルにもある「ノミ」が話題に出てくる。ノミか。ノミね。華やかな女性たちの水着シーンもあり。眩しかった。あぶない、あぶない。
栗山さんのおへそが可愛かった。

絶叫マシーンもあり。みんな、乗ればよかったのに。

金曜マチネ。終わって出たら外はまだ明るくて。驚いた。



ノミってのは、1.5メートルもジャンプできるんだけど、ガラスの瓶にいれておくと、ジャンプしても当然のことながら、天井につかえて、それ以上は高く跳び上がれない。そのうち天井の高さに収まるようにジャンプすることを覚える。すると瓶をはずしても、もうそれ以上は高く跳べなくなる、というお話。

そりゃそうだよね。瓶のなかで、それ以上高く跳ぼうと頑張ってたら、体が壊れてそのうち内臓破裂で死んでしまうもんね。壁にぶち当たらないように跳ぶのは、当然なのだ。

瓶がとりはずされたときに、「あ、瓶がないからもっと高く跳べる!」って気づけばいいんだけど、気づかないから跳べないんだよね。それに怖いってのもあるだろうし。それ以上高く跳んだら、また何かにぶつかってしまうんじゃいなかっていう恐怖

ぼくは最近右のふくらぎ肉離れを体験したんだ。2、3日で治るのかと思ったら、結構時間が掛かってね。完治まで2ヶ月くらい掛かったよ。
治りかけたときは歩くのが怖くてね。急に立ち止まったりすると、ピッキーンって痛みが走ったりして。徐々に、ちょっぴりずつ治していかなくてはならない。じっくりと時間を掛けて。

それとおんなじだと思うな。ノミだって怖いんだ。瓶がはずされたからって、急には高くは跳べないよ。でも恐怖を克服して、少しずつ跳べるようになるさ。

なんか急に熱く語っちゃったけど。

「ノミみたいにちっちぇえな」みたいな否定的なニュアンスから、上記の「高く跳べなくなる」みたいな話になって、「I know me (myself)」みたいな、「己を知る」みたいなイメージになる。
それで喜んで、「ノーミー、ノーミー」と連呼する場面で、うるっとしそうになったんだけど、でもあっけなく場面転換されてしまって。出そうになった涙も引っ込んでしまったよ。
発想の転換みたいなものが、そこで鮮やかに表現されていたりしたらよかったのになあ。そうはならなかったのが残念。

劇中のオーディション、水着になっての登場は、嬉しいような悲しいような。見たいような見たくないような。複雑な心境でした。見ましたけどね。

何気なくやってた生着替えもなあ。嬉しいような悲しいような。見たいような見たくないような。複雑な心境でした。見ましたけどね。

最後の歌は、みんなで頑張って歌わずに、もっと綺麗なハーモニーを聞きたかったなあ。声が大きすぎて、汚く聞こえないこともなかったです。観客ってのは贅沢我が儘身勝手なもんですね。

MacGuffins『何度もすみません』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。木曜のソワレ。初日なのかな。超満員だったよ。頑張ってますね。

MacGuffinsは、去年一度観たよ。かる~い乗りのコメディだったけど、最後ほろっとさせられたような気が。
今回もそういうのを期待していったけど、ほろっとすることはなかったな。だって都合よすぎるよ。

主人公は、驚くことがあるとその衝撃で過去に戻ってしまうという性質が。最後のほうで明かされるけど、実は彼女のほうにもその性質があるということで。
過去に戻る人が複数になると、複雑だよね。どんなことになるのかイメージというか考えがまとまらなくなるね。

去年のに比べて、コントが力強くなったような気がする。その分、芝居としてはどうかなあという感じに。
スピード激しい動き変な動作変な顔わかりやすいギャグでつくる笑いじゃなくて、芝居の間とか心の機微擦れ違いでつくる笑いが欲しいな。ごめん、贅沢で我が儘で。

Reach『~The 7 Lucky Guys 1~』

池袋の芸術劇場シアターウエスト。木曜日のマチネ。

ダンスがメインで、あとちょっとした芝居が。芝居のほうは、驚いたことに『続く』でした。
探偵たちが熱海に出発するところで終了。「次回は9月」とか聞いて、なんじゃそりゃ~って思ったけど、芝居はもうなんかどうでもよかったので、それほどのショックはなく。

ダンス、よかったです。坊主頭であごひげを伸ばしたちょい太めのあんちゃんの、ちょこちょこ動くダンスが好きでした。
あと、女性のダンスのほうの主役担当の人も。

客席が、そういうダンスやってるー、みたいな人たちで埋まってました。いつもと客層が違う。ふうん。こういう世界もあるんだなあ。


2013年5月21日火曜日

ミュージカル座『野の花』

ウッディシアター中目黒

初日。超満員でぎゅうぎゅうでした。椅子と椅子の間がない!ぴったりくっついてる!


第二次世界大戦。ドイツ人の娘(リーザ)とユダヤ人の娘(ルイーゼ)の友情の物語だったよ。
ほら、ユダヤ人が迫害されるやつ。

リーザのお兄さんはすぐにヒトラーに感化されて、親衛隊に入隊するんだけど、ソ連での戦闘とユダヤ人収容所での虐殺が原因で、心を壊して帰国。すぐに死んでしまう。
お父さんは、助教授だったんだけど、ユダヤ人の教授がいなくなって、教授に昇格。戦争やユダヤ人政策には反対だったけど、無力。なんにも出来ないで苦しむ。

ルイーゼのお父さんは医者で、リーザのお父さんの心臓発作も診たりしてあげるんだけど、そのうち娘とポーランドへ。

リーザには子供ができるんだけど、小児麻痺の女性の子供は堕ろせという指示が出る。それが原因で、夫婦の関係は悪化。
リーザは親友のルイーゼを探して、ポーランドへ。巡りあう。ルイーゼには二人の子供が。
ルイーゼのお父さんは強制収容所へ。
病気だったルイーゼも死んでしまう。二人の子供を残して。
その二人の子供をリーザは引き取って大事に育てましたとさ。


と。ここまで書いてなんか疲れた。また明日。


脚本の構成上の面白さはというと。

最初、お婆さんの家に二人の娘とそれから孫が遊びに来る。二人の娘は、料理をつくるために台所へ。残った孫が、お婆さんにいじめの相談。
「私、いじめられてるの。友達がいない。夏休み前には学校を辞めたい」
「どうして夏休み前なの?」
孫は太もものアザを見せる。幼児のときからあるアザで、以前は小さかったものが、次第に大きくなって、太ももを覆うくらいの大きさのアザ。
「夏になるとプールの授業があって、水着にならなくちゃならないでしょう?こんな大きなアザがあったらまた馬鹿にされたりいじめられたりするわ」

お婆さんは、孫に人形を渡して、「じゃあお前に大事な友達をあげよう。ルイーザよ」
そしてルイーザの話を始める。

物語の終盤近くになって、二人の娘が実はルイーザが残した子供であることが判明し、孫もつまりはルイーザの孫であることがわかる。なるほどなるほど

「私は娘たちとは血はつながってないけど、大事に育てました」
(このへんで不覚にもうるっと来てしまった)

それからルイーザの遺髪を埋めた庭の墓地へ。
(このへんでも、またしても不覚にもうるっと)

「時間が止まった」と孫がいう。
時間が止まったというのは、それがずっと記憶に残る思い出になるとでもいう意味かなあ。リーザとルイーザの間でも、時間が止まったときがあって、その話を聞いた孫が、お墓の前で同じように口にする言葉。

なーんかね。べたで、ホントはこういうのは好きじゃないんだけど。でも、うるっとさせられちゃうと。

最後はミュージカル風に、みんなで歌を歌ってました。
客層が、いつも観る芝居とは違ってました。

お婆さん役の方の眼が、きらきら輝いているのが印象的でした。

2013年5月19日日曜日

ライオン・パーマ『未確認の詩-ウタ-』

王子小劇場で。日曜日の夜。

コリッチでの評判が結構よくて。それで実は期待して観に行ったのだ。
うんうんうん。なるほどなるほどなるほど。
小ネタをいい具合にちょいちょい挟んで、飽きさせない感じ。

あ、ごめん。途中だけど、ビール飲んで眠くなったんで、また明日。




やあ、みんな、おはよう。ビールは飲み過ぎないようにね。

いちばん印象に残ってるのは、母さんの歌ですかね。母さん母さん母さん母さんのフレーズ、よかったなあ。母さんへのプレゼントも、なんだろうって考えてたら、おお、そういうオチか、と面白く。(でも考えてみるとやっぱり何かのパロディなんだよなあ)

芝居全体で観ると、途中の明転で、「あ、まだ続くのかあ」と思ったから、後半ちょっぴり飽きたんでしょうね。
だって最初からもうずーっとパロディみたいなののオンパレードで。

意味のわからないものもあったり。女占い師の逮捕は、なんだったんだろう。単に刑事が医師の助けで事件を解決しているっていう状況説明なだけなの?自首しなさいってその場で逮捕をしなかったのは?
セーラー服の狼少女はその後どうなったの?その他いろいろ。
最初のホームランの場面から、ずっと「to be continued」で判断を留保しなくてはならなくて、頭のなかのスタックがオーバーフローしそうになりました。わあ、なんて容量の少ない脳みそなんだ。とほほ。

結末は、ぼくはちょっとがっかり。途中から精神科医と患者がちょいちょい出てくるので、いやな予感がしたんだけど、その通りになってしまって。それまでの短いエピソードが全部患者の妄想、みたいなことになってしまって。

ああいうオチは要らないと思うな。途中のエピソードの面白さだけで勝負して欲しい。そのエピソードも、パロディギャグにあんなに頼らなくたっていいし。演技だけで面白くできそう人たちがいっぱいいるのに勿体無い。パロディにばっかり頼っていると、パロディに頼らないと演技できなくなっちゃうよ。なーんてね。てへへ。なま言ってら。

いや、ああいう結末が欲しいと思う人も一杯いるだろうから。好みなんでしょうね。というか、ああいう結末がほんとになかったら、こう言ってる僕自身も「結末がないじゃん」って怒るかもね。どひゃーっ。観客ってのは我が儘身勝手無責任なものですね。

全部パロディとギャグなので、最後の場面もなんかのパロディか?と思ってしまう。

上からボールが落ちてきて、グローブでキャッチ。それが可笑しくて、くすっ。でもそういうので笑わせちゃいけない場面だったのでは。

笑ってほしいところは笑えるように作る。感動してほしい場面は、感動できるように作る。クライマックスは「クライマックスだよ~」って真面目に大声で言ってほしい。そうしないとすっかんぴーの僕にはわからなかったりするのです。要はメリハリですかね。メリハリ。演技とか演出の。てへへ。またまたナマ言ってら。

あ、でも。希望が叶わなくたっていいじゃないか的な結末は、発想の転換があって、やっぱりよかったのかなあ。

ジャムジャムプレイヤーズ、ワークショップ

土曜日は、久しぶりの演劇ワークショップ。

大江戸線、光が丘で。元小学校が、文化交流センターみたいなのになってて。演劇実習室、みたいなのもあるんです。そこで開催されました。改装したてらしくて、ものすごく綺麗。
どこだっけな、日暮里のほうにも廃校になった小学校を利用したものがあったけど。あそこはそのまま使ってるという感じだった。でも光が丘のは綺麗。立派。三階建てなのにエレベーターもある。

秋に出演予定のジャムジャムプレイヤーズ。こないだのオーディションのときにみたいに、紙ペラ一枚の台本がいくつかあって、そのシチュエーションを参加者が演じる形で進んでいきました。

演劇的なワークショップに参加するようになった当初は、シアターゲームっていうんですかね、そういうのが楽しかったけど、でも、なんか、だんだん楽しくなってきた。理由はわからないけど。
だから、そういうのがない今回のジャムジャムプレイヤーズのワークショップは、気持ちがよかった。台本を読んで、その設定の役を演じることに集中できた。そういうのがいまは楽しいし、役に立つ稽古だと感じた。

ワークショップ終了後は、秋の公演の出演予定者で打ち上げ。劇団員の他に数名の客演。ぼくもそのなかの一人。光が丘駅の周辺の居酒屋では、13人入ることができず、電車で練馬まで移動。和民に入ることができました。

主宰の小竹達雄(こたけみちお)さんとお話することができてよかったな。
でも飲み過ぎた。久しぶりの日本酒で。
和民ラベルのを2本ちかく空けてしまったのはよくない。次の店ではホッピーも飲んで。もう飲み過ぎ。ほんとに飲み過ぎ。
帰りは電車のなかで寝ちゃいました。でも幸運なことに乗換駅の大門で眼が覚めた。で、乗り換えた浅草線でもまた寝たけど、泉岳寺でかろうじて起きることができた。よかった、よかった。

前回出演した劇団かさぶた。オーディションには参加したけど、連絡はないから、今回は無しなのかなあ。ま、いろいろ事情はあるだろうし。ぼくは当面は本業であるCGの仕事に専念しなければ。

2013年5月18日土曜日

劇団MAHOROBA+α『ペコラムートンの羊(再演)』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

西荻窪「劇空間がざびぃ」って場所で。駅から結構歩くよね。遅刻する人がいるのもわかるな。

芝居は重たい感じのものをイメージしてたんだけど、そうでもなかった。
ファンタジーでした。もう単純なファンタジー。それがちょっと意外というか、期待はずれというか、、、。いや、ぼくが勝手に違うふうにイメージしてたのが悪いんですけどね。

言葉遊びが野田秀樹、あるいはシェークスピア風でありました。これって褒め言葉になるのかしら。それともけなす言葉になるのかしら。わかんないけど、とにかくそう思いました。言葉遊びがあると、なんでもそう思っちゃうのかも。この人達の影響力、偉大だな。

役者さんたちは忙しく動いてました。それはそれで楽しかったけれども、どうも心に響くものがないというか。ライブ感がないというか。芝居って難しいですね。

顔はごついけど、なんだか気弱な感じの牧羊犬さんと、それからこれが雲雀?みたいな体型の(失礼)ヒバリさんが好きでした。単純に観ていて面白い役者さんかなあと。
いま気がついた。ぼくはああいうタイプの役者さんたちが好きなんだ。どういう?いや、そういう趣味はないですけどね。

ラスボスの山羊さんの、正体がばれたあとの迫力がいまひとつで。もっと吠えて欲しかったです。

ハッピーエンドで、主役のふたりが喜びの踊りを踊っているうちに終演。
好みの問題かもしれないけど、悲劇にしてほしかったな。

2013年5月17日金曜日

エマニュエル『1995年のサマー・アンセム』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

最近、下北沢に行くと、いっ久ドーナツ食べるんだ。美味しいよね、あれ。
ところが。最近、なんだかなあ。以前は、ものすごく美味しいと思ったんだけど。体質が変わったのかなあ。油っこいのがどうも。そりゃドーナツなんだから、油っこいさ。そういう食べ物なんだから。でも、なんか、それがどうも、だめっぽくなりつつある。もう歳ってことかなあ。やあね、もう。

下北沢、シアター711でした。

終演後のアンケートに「観に来たきっかけは?」的な質問が。
ん? そうだね。そういえば、どうして観に来たんだろう。わからない。えーっ、わからないよ。なんでだろう。結局なんとなく観に行ったんだよな。予備知識もあんまりなくさ。だって初めて観るし、知り合いがいるわけでもなく、他で話題になった記憶もないし。
自分自身も舞台に立つようになったから、出来る限りいろんなものを観ようと思ってはいるんだよね。勉強のつもり。修行というか。

でもね、でもね。
観に行ってよかった。楽しかった。馬鹿らしくて笑えた。高校20年生って。なんだよ、それっていう感じ。そういうありえない設定になると、いろんなところでギャップが出てきて、なんでもかんでも可笑しくなるよね。周囲の反応とか。設定の勝利、ということなんですかね。
とはいえ、馬鹿笑いはできなかったということは、わだかまりがないわけではないのかも。

女優の方々も、セーラー服なんて着ちゃってさ。

伏線として、屋上の吸殻が出てきて、それから35歳女子高校生と18歳男子生徒の恋愛関係が、本筋にどんなふうに絡んでくるのかなあと思っていたら、そんなにしっかりした伏線というわけではなくて。それが拍子抜けでちょっぴりがっかりのような、でも、これはこれでアリのような気もしたり。

向井琴子がいきなり、私は「結局何年後に死んで、女子アナにも女優にもなれなくて」みたいなことを語り出したのも、意味不明のような、でも意味はあるような。いや、ないような。でも、あるような。

高校20年生トリオがいい味出してました。普通に高校20年生なんてあり得ない存在で、そのうえ一人は女子ということになると、もう絶対に絶対にあり得ない存在で。達観してる感じがよかったです。
だって35歳で、18歳からラブレターもらったって、普通ならもうすぐに丸めてポイですよ。でも達観してるんですよね? 達観してるから、素直に受け取れたりするのだなあ。

いや、こんなふうにも考えられるかな。
20台で高校生やってたときは、クラスの男どもがほっとかなかったけど、30を過ぎると、そういうこともなくなった。そういう状況で久々にラブレターをもらった。それで嬉しくなって舞い上がった、みたいなね。

みんな、同じクラスでよかったよね。ばらばらなクラスだったら、ぼくなら耐えられないだろうな。

直立して向かい合ったまま台詞をいい合う場面がたくさんありました。そういう場面で不自然な違和感を感じるときもありました。
直立して向かい合って台詞を言うのが悪いとは思わないし、それでいい場面もたくさんあるとは思うけど、違和感を感じたということは、その場面は、もうちょっと動きを工夫したほうがよかったのかなあと。てへへ。ごめんなさい。そんな感想を持ちました。

2013年5月15日水曜日

小西耕一 ひとり芝居『既成事実』

東中野にあるRAFTっていう場所。初めて行ったよ。

座席は15席ぐらいだったかな。狭い場所だよね。

ひとり芝居の小西耕一。普段はどんな芝居をやってるのかしら。
初めて拝見しました。ひとり芝居ってのがどんなものなのか観たくて。ひとり芝居、あんまり観たことありません。今回が2回目で。

自分でもそのうちひとり芝居っつーものをやってみたいなあと夢を抱いていて。それでこうして観に行ったでござんすよ。

やっぱり独りってのは大変だよね。いない相手に話しかけても、相手が見えないんだから、どうしてもリアリティーに欠ける。それを補う何かが必要になるってことですな。
どうやってそれを補うか。そこが芸の見せ所ってことになるのかしら。

『既成事実』は、基本、恋愛物なんだけど、途中サスペンスの要素を挟むことで、ストーリーの展開に幅をもたせる、みたいなことをしてました。なるほど、なるほど。
勉強になりました。

2013年5月13日月曜日

劇団かさぶた、ワークショップ&オーディション

日曜日。遊びに行ったよ。かさぶたのワークショップ。

でもなんとなく燃えない。
シアターゲームとか、ぼく自身は飽きてきたようだ。以前のような新鮮味を感じることがなくなった。慣れてきたというか。まるくなって数を数えるゲームとか、名前オニとか。

昨日はそのあと台本を使った稽古をしたよ。

あれれ?ぼくの演劇熱ももう冷めてきてしまったのかな、ひょっとして。随分と飽きっぽいな。いやいや、そんなことはない。ひとつの場所に留まらずに、次のステージに行きたがっているだけなんだ、気持ちが。と思いたい。

ぼくにとっての次のステージって何だろうな。

2013年5月12日日曜日

劇団くるめるシアター『また夢であうためにすることは』

早稲田大学学生会館地下2階。

客席から登場したり、客席でやり取りがあったり。でもなんか意味とか効果はあったのかな。ぼんくらなもんで、よくわかりませんでした。

地上の人類は滅んで、地下に逃げ込んだ十数人だけが生き延びているっていう設定なのかな。司会とか進行役がいたけど、彼らはなんだったんだろう。謎。

2013年5月10日金曜日

劇団冒険倶楽部『タイクツな爆弾』

今日はまた不思議な芝居を観て来たよ。

下北沢の駅前劇場。いいよね、ここは。改札出てすぐにあって。

本編というか、芝居の中身自体は、ちょっぴりモヤモヤが残る展開だったんだけど。

本編が終わったあとのカーテンコールっていうんですかね、歌と踊りがね、もんのすごく楽しかったです。黒いドレスとタキシードでの踊りとか、『また遭う日まで』を全員で熱唱する感じとか、それがとっても楽しくて、本編のモヤモヤが全部吹っ飛びました。そして楽しい気持ちになって劇場を出ることができました。
こういう流れは初めてだったので、新鮮でした。反則みたいな気もしますけど、いいですよね、これ。とにかく劇場を楽しい気持ちで出ることができれば、すべて許す、みたいな気持ちになれますよね。許すってちょっと上から眼線な言葉でなんですが。
とにかく全部オッケー、みたいな気持ちになりました。やられたーっていう感じですかね。

踊りなんかは、『楽しそう』な体で踊ってるっていうだけで、ほんとは楽しくなさそうなのをよく観るような気がします。でも、今夜の踊りはほんとに楽しそうなので、観ていて気持ちがよかったし、いいなあと心から思えました。

本編は中途半端なような。



一斉射撃で射殺した犯人に対して、さらに撃ち込むって。警察のメンバーにもシンパシーは持てなかったです。そもそも犯罪が起きるように依頼するとは。もう正義でもなんでもないですからね。
あれ、詐欺の犯人は捕まえたけど、裁判で依頼したのが自分たちだと証言した時点で、もう警察は首ですよね。

いちばんシンパシーを感じたのはなぜか射殺された犯人に対してで、最後の踊りも逆にすごく楽しそうなんで、好感度大アップしました。


2013年5月9日木曜日

オフィス再生『暗室の窃視者』

今日はおどろおどろしい芝居を観て来たよ。いや、「おどろおどろしい」ってのは違ってるかも。でもなんて説明したらいいのか、わかんないなあ。

はっきりいって、面白いのかどうもかわからなかった。

でも最初、劇場に入っていったときには期待が高まった。客席少なっ。舞台のあるらしきところには暗幕。天井高いっ。この暗幕の向こうには何があんのかしら? 期待が高まるーっ。

客電が落ちて、暗転。果たして暗幕の向こうには何があんのかな?
ちょっと明るくなったと思ったら、暗幕の隙間から顔が覗いていたよ。顔が懐中電灯みたいなので照らされていて。わーっ、不気味。

なんかよくわかんない台詞を聞かされて、そのうち暗幕が落ちて、舞台の全貌が露わに。
おお~。こういうのも初めて観た。鉄パイプが天井から何本も吊るされてたよ。そして鉄パイプの先っぽには小さい電灯が。
なんだかわからんけど、すごい。仕込むの大変だったろうなあ。びっくりしました。

芝居自体はね。ごめんなさい。よくわかりませんでした。面白いのかどうかもよくわかりませんでした。面白いといえば面白い。つまらないといえばつまらない。微妙なんですよね、すごーく。

言葉を売り買いする商人?みたいなのが居て。卸し問屋とか?というか質屋か。
言葉、というか概念を売り買いする。笑顔を売った女の子は、笑うことができなくなる。第一人称を売った人は、自己を語れなくなる。
そういうアイディアは面白いけど。
理論的なことを説明したり、その意義みたいなのを語っていたのかもしれないけど、ぼくの耳がまったく受けつけなくて、そういうのは自動的にスルーされていました。
「なんか面白そうなんだけど、理屈っぽいんだもん。私、帰る!」みたいな気持ちにも。

そういうのを聞いて、ぼくが連想したのは『やし酒飲み』。あんなかでは、自分の『死』を売った主人公が、自分が死なないのはわかっていたけど、『恐怖』は売らなかったので、死の恐怖を味わって怖くてたまりませんでした、みたいなエピソードが出てくる。いや、正確じゃないかも。捏造してるかも。でも、大体そういう感じかと。
これだと小説のなかのエピソードとして、理屈抜きで面白いと感じることもできると思うんだ。


でもこの上演では、物語のうえでの理屈抜きの面白さっていうのは感じられなかったかなあ。

言葉を売り買いする商人?役のひとの表情とか振るまいとか喋り方とか、そういうのは面白いなあとは思ったけど。物語としてはね。まったくわかりませんでした。たはは。

2013年5月8日水曜日

ソラリネ。『ばたふらい』

ギャラリーLE DECO。

タイトルは、どういう意味でつけたんだろう。謎だ。

恥ずかしかった。いろんな意味で。
最初のシーンで、もう気持ちが離れてしまった。それ以後、気持ちが芝居に戻ってくることはありませんでした。他のこと考えてました。自分の仕事のこととか。
あの女の子の演技は、はっきりいって、直視できませんでした。

会社員なども、会社員には見えませんでした。みんな若すぎるってことなんですかね。

芝居全体が、最後の電話のオチに持っていくための大いなる前振りでした。
コントでしたが、笑えないコントでした。

第0楽章『宝島』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

東京、今日はなんだか暑いね。もうかね。いやいや、そんなこたーない。
そんななか今日も芝居見物に出掛けたよ。
渋谷の新南口近くにある、SPACE EDGE。なあんかさ、こんなとこで芝居やんの?って思っちゃったんだけど。プレハブ?みたいな。でもプレハブじゃないよ。ちゃんとしてるよ。普通の芝居を上演するような感じじゃないってだけで。
でもその空間をうまく利用していたのが素晴らしいなと。

脚本の人、なーんか頭おかしいんじゃないかと思ったよ。失礼。ごめんなさい。いや、だってね。こんな変な物語、なんで思いつくのかなあ。起承転結がちゃんとしているようで、全然ちゃんとしてないじゃんかよ。
イメージなんだなあ、イメージが大事なんだなあ。英語で言うと、イマージュ


でした。なんでここで涙が出てくるのなって思って。不思議だった。最後の場面。
でも後から考えると、謎というわけでもないのかも。

サスペンス風の物語なのかと思ったら、実はそうではなくて、いろんなイメージを積み重ねていった先に出来上がったものが、この芝居ということなんでしょうかね?

お弁当や、ケーキ。ちゃんと食べてるのが、リアルでよかったな。あとゴミだらけの室内とかも。その辺がリアルだから、リアルからちょっぴりずれた会話(や幻想)がより生きて来るというか。

それからまたちょっとずれた三人組登山者の演技とがいい味を出していて。シリアスだけど笑いを誘うっていう。

失踪した男の寂しくて、でも楽しくてユーモラスに見えなくもない、見方を変えれば羨ましくもある、そんな人生が浮き彫りになったお芝居でした。

2013年5月7日火曜日

die pratze『フェルナンド・アラバール「戦場のピクニック」フェスティバル』

『戦場のピクニック』って、読んだことないけど、ときどき話題に出るよね。
3つの劇団の上演があったけど、本当はどういう感じなのかよくわかんなかった。全部、変化球で。もっと直球勝負の上演が観たかったかな、個人的には。

戦場で兵士として戦う息子のところに、両親がピクニックに来ちゃうんだよね。
それからすったもんだがあって、最後は、そんなに大変だったら戦争止めちゃえばいいのに、みたいな感じになるのかな。
そういう理解でいいの? いいの? いいんですかね?

最初は、evkk っていう団体の上演だった。舞台に紙が規則正しく敷き詰められている。
男女ひとりずつが登場して、台詞を言いながら、紙に絵を描いたりしている。登場するのはこの二人だけ。戯曲では4人くらいが登場する。その台詞を二人でいうので、誰の台詞かわからなかったり。『戦場のピクニック』は読んだことないしね。
そのうち紙をいっぱい破いて、紙吹雪にみたいに放り投げていたりした。紙に絵を描きながらというのは、アイディアとしては面白いと思ったけど、それが何か意味を持ってきたり、イメージが広がったりということはなかった。それが残念。
やってる本人たちには、意味とかイメージはもちろんあるんだろうけど、それがぼくにはわからなかったというか。へぼくてゴメン。

初期型っていう劇団のは、スタイル的にはいちばん好みだったけど。やっぱ、戯曲読まなきゃだめだな。
全員があらかじめ舞台に登場していて、必要に応じてその場で着替えたりしてたよ。舞台上で裸になって、おむつに着替えたり。ちゃんと見えないように配慮はしてたけど。あれ、おむつに着替える必要あったのかな。
それからお姉さんが綺麗なドレスに着替えて踊ったり。クライマックスでも、踊ったり歌ったり、紙皿とか投げたり、それから何だろうあれ、マシュマロみたいなものとかも投げてたかな。食べ物は粗末にしてはいかんよと、ちらっと思った。
最後は暗転のなか「そうか、よかった」みたいな台詞で終わる。そういうお話なのかあと、そのとき思った。evkk のでは、なんにもわかんなかったからね。

最後のは、劇団ING進行形っていうところの。この団体の招待券で行ったんだけど、受付に行ったら招待券扱いになってなかった。コンニャローと思ったなり。でも大丈夫。

「招待されました」って伝えたら、すんなり通してくれた。


芝居というよりも、パフォーマンスに近い。全体の動きが決められていて、そのなかで物語が進行していく。ぼく自身は、役者がもっと自由に動くようなスタイルが好き。そういう意味で、息苦しさを感じないこともないような。動き方やタイミングなどの工夫がされていたとは思うんだけど。
もっと自然にやればいいのになあと。やってて面白いのかなあとも。正直にいうとね。

『戦場のピクニック』は、自然にやれば充分不条理で面白い芝居だと思うんだけど、フェスティバル~みたいな感じになると、奇抜なことをやりたがるってことなのかな。直球勝負だと、実力がはっきりしちゃうから、ケムにまいちゃえ、みたいな?こともあるかもね。とにかく目立とうとかさ。いや、本当のところは知らないけど。

できれば他の団体のも観たかったな。

来年は寺山修司の『青森県のせむし男』がテーマだということ。応募〆切は6月。ぼくも応募しちゃおうかな、独り芝居で。
本棚に『寺山修司戯曲集1初期一幕物』ってのがあって、そのなかに収録されていた。寝る前にちらっと読んだけど、浪曲なんかもあって、結構上演は難しいなあと思った。
改変は、どの程度まで許されるんだろう。
「見世物の復権」みたいなものにも拘らないとならないのかなあ。

2013年5月3日金曜日

LiveUpCapsules『曽我蕭白』

東上線、北池袋駅。atelier SENTIO。
線路沿いにあるのね。しかも木造の家を改造したみたいな感じのスタジオ。

電車の音がうるさいんじゃないのかなあと思ってたら、やっぱり煩かった。
それから、上演の途中、ときどき水が流れる音が聞こえたんだけど、あれはなんだろう。雨戸? なわけないよね。トイレ? やっぱりトイレ?うーん。
演劇の空想的な空間に入り込んだ、みたいな感覚が、そういうのにときどき邪魔されたのが残念。

曽我蕭白って、江戸時代の絵描き? 不勉強で知りませんでした。でも絵はどこかで観たことがあるような。
無頼派な感じの曽我蕭白のエピソードをユーモラスに描いていました。

絵を映写機で直接見せちゃうってのは、わかりやすくていいですよね。
わかりやすかったです。

曽我蕭白って、ほんとはどういう人だったんでしょう。上演では、破天荒なエピソードがいくつか紹介されていたけど、そこから曽我蕭白の人間に迫る、みたいな視点が欠けていたような。
いつも超人的な、あるいは仙人的な感じで。
絵が描けなくて悩んだり、なんかいじけたり、そんなふうな人間の弱さが見えなくて。

曽我蕭白の理解者であり、芝居の進行役でもあるお兄さんも、単なるやさしいいい人みたいな感じのままなのが不満でした。他の登場人物すべてにも、それは当てはまるかな。

あと、これは、ぼくの理解力が乏しいだけだからなのかもしれないけど、クライマックスのシーンは、「ここがクライマックスだよー」みたいにわかりやすくもっと露骨にやって欲しいなあとおもったり。
最後に蕎麦の話題に戻ったとき、蕎麦が落ちにならなくて、まだ続きがひょっとしてあるのかなあと思われたけど、「ありがとうございました」って頭を下げられて、「ああ、終わりかあ」と、なんだか中途半端な気持ち。

2013年5月2日木曜日

シンクロ少女『オーラルメソッド3(愛についてのシンクロ・レポート)』

また今日も阿佐ヶ谷に行ったよ。一昨日も行ったような気がする。
今日は阿佐ヶ谷アルシェ。何度か来たことがある場所だよ。

7時半開演。終わって劇場を出て時刻を確認したら、8時20分ぐらいだったよ。50分ぐらいか。どおりであっけなく終わったと思ったよ。

まだ早いからブックオフに寄ることに。
『ゲゲゲの女房』ってのと『宮崎アニメの暗号』(新潮新書)ってのを買ったよ。どっちも105円だ。
帰りの電車で『宮崎アニメの暗号』を読んだけど、最初の章で飽きた。
『ゲゲゲの女房』のほうもパラパラめくってみたけど、読む気にならず。
変だな。おもしろそうだと思って買ったのに、読む気にならないとは。これいかに。

いま図書館で『岸田國士Ⅰ紙風船/驟雨/屋上庭園ほか』ってのを借りて読んでる。戯曲集。
でもなんだかよくわかんないことが多い。この歳で、読解力が、、、。

あと家では、シェークスピアの戯曲を声を出して読んでたりする。いまは『オセロー』を読んでるんだけど、なんか不愉快な戯曲だ。オセローが妙に騙されやすくてイライラする。馬鹿すぎるだろう。イアーゴーだっけ? あいつがすんごく不愉快。

で、なんだっけ。シンクロ少女か。初めて拝見しました。

最初、席についたとき、照明がとっても簡単な感じで。それがびっくり。
そっけない感じなのね。

それから、折り畳み式の椅子が四つと、「のど越し生」の缶がよっつ置いてある。
わざわざラベル面をこっちに向けてるってことは、読ませたかったんですよね。「のど越し生」って。

「のど越し生」派ですか。そうですか。こないだ東京に遊びに来た姉も「のど越し生」派でした。
ぼくは「金麦」派なんですよね。最近は北海道プレミアムを飲むことも。でも今夜は奮発して、サントリーのザ・プレミアム・モルツをいただきました。全然関係ないんだけどね。

役者名がそのまま役名のようでした。それもあとで気づきました。

初観劇のぼくにはどうも。馴染みがないぶん、ちょっと、、、。何をやってんのか、よくわかんなかったっす。ま、これに懲りずに。いや、大丈夫です。

最後、音楽が鳴ってるなか、椅子に座って紙ペラのなにかを読むんだけど、観客には聞こえない。それがなんだか面白いなあと。